50になる準備
今年の10月でいよいよ50歳になる。
人生とは限りある資源の消費だ。命は無限ではない。
過去から未来へと続く出来事の連続体が、時間がというならば、
既に僕は人生の大半を過去へと送り出した。
だから、未来の方が残り少ないのは当然である。
働くことだけに人生を消費してしまう人が殆どだ。
確かに、人生を生きていくには、生活という基盤がある。
生活をするためには、お金が必要だ。
人生の殆どがお金を稼ぐ行為で終わってしまうことが、
生きる道なのかと、多々疑問も浮かぶ。
お金という存在に振り回され生きているのが大半じゃなかろうか?!
となると、実際人生とは、お金を稼ぐために我慢と忍耐の連続になる。
好きなことが出来るのも束の間休日だ。
明日の体力を残して、全力で休日を消費するのは困難だ。
これ以上呑んだら、酔っぱらちゃうからこの辺でソフトドリンク。
明日は仕事早いから、今日は帰ろう。
子供と遊園地で遊んでいても、帰りの渋滞が気になり早上がり。
そう、休日も明日の仕事のことを考えて過ごし、体力を温存するのだ。
その日の人間のエネルギーが明日に貯蓄できるハズもないのに・・・・・
自分の人生に100%参加してるのか?
これは僕の口癖だ。
自分の人生を生きているのは、それは分かる。
しかし、自分の人生に100%参加してますか?
では、いったい全体何に振り回され、誰の人生に参加しているのか?
自分を生きる。
これ程難しい事は確かに無い。
僕の本。新刊『 ゼロポイント 』にも書いてある。
人生とは、自分の都合で出来ている。
その自分の都合を生きることが、夢の到達点だ。
未来があれば、誰にだって叶えたい欲や夢は存在する。
その夢の第一歩を邪魔するのが、過去でもない、未来でもない、
まだ通り過ぎてない、現実なのだ。
僕は思うのです。
過去の延長線上に未来を置いたら、そりゃ夢は叶わない。
叶うハズもない。
理想と現実の一体化。
これも、夢の形である。
または、悩んだら、悩んだ分、その問題が解決されれば、
解決されただけ、それも夢の到達点だ。
問題なんて、多ければ多い方がいい。
その方が人を成長させる。
そして、問題なのは、それを幾つ解決したかだ。
実際人間は、問題を抱えると現実逃避し、逃げようとする。
責任を課せられると、大概の人間は進めない。
自分で責任を果たしたいから、自分で選ぶのではなかろうか!
選べない自分がそこに存在しているのならば、
チャレンジすればいい。
そのチャレンジ、挑戦こそが人生そのモノを創りあげる。
一歩踏み出す勇気さえあれば、今日のエネルギーは、今日使い切り、
寝るんじゃない、気絶すればいい。
一時僕は、マスコミに『夢を追い越した男』と題され紹介された。
しかし、未だまだ夢は追い越した訳じゃない。
まだまだ夢を追い続けている。
僕はそーして生きてきた。
そして、やっぱりこれから50になる体をきっとチャレンジで消費する。
限りある資源を有効に生きるために・・・・
Baku@夢追い人
※無断転載禁止・・・・
スポンサーサイト